https://plus.google.com/110822532600654159263/posts/RxHi5uYAcG1

社会保障の不都合な真実 榊優(yu・sakaki) Official Blog

大和総合社会構造研究所代表フェロー 〇〇父子子家庭という視点からこの国の社会との本質とやらを観察してみた・・・〇〇 という表題で初めて、本業の医療問題に移ろうと思いながら、壁に当たり書けない時期を経て(ブログで一儲けなわけでもないので、その気にならなければ書く意味もないと思い)、そろそろ気も熟してきたかなと思います。 〇〇この国の社会保障問題の不都合な真実と本当のことを知らない人々へ〇〇 少しずつこちらに数か月の猶予期間を頂き、それこそ徒然なるままに、気ままに思うように書いてみるかと考えております。 ◉プロフィール◉ 大学卒業とともに若気の至りという事でしょう、今思えば、いきなり海外で社会人になりました。以後、医師として研鑽積むも己の能力の限界を感じて帰国し、活動拠点を母国日本に移し血液腫瘍内科を専門とし総合病院を中心に勤務医として活動。 骨髄移植から救急医療まで網羅しつつ、最終的に30代(と言っても終わりかけですが)には地域の中核病院の診療部長に。 ただ、その間に化学療法を扱いなれている診療科ということもあり、緩和ケア病棟勤務を経験し、その仕事上の必要性から精神科病院に国内留学で集中的に学び精神保健指定医を取得に至る過程でこの国の行き過ぎた専門医傾向に疑問を感じ始める。 診療部長時代にマネージメントに関わるようになり、コスト感覚の意識を余儀なくされる。 国民皆保険の体制維持の中で、その診療報酬や医療体制が患者さんと関わる現場からではなく、全てが霞が関にてコントロールされている現実を知らずに、この国の人々がその命を預けている事実を釈然としない気持ちのでいる中で、家庭内不幸による父子家庭となる。 行政が明かさない医療福祉や社会保障問題の不都合な真実の確信を知った今、かっては天職にすら感じていた自身の仕事にも疑問を持つ様になった折の突然の家庭内不幸。 家事育児との両立のため、医局人事下での医師生活は不可能となり、志半ばで頓挫するも、不思議と未練なく(子供というかけがえのない存在に代わるものがないという現実は確かに存在したが)一時時世の日々を送る。 身を持って体験してきた波乱万丈の医師生活や一人親家庭から学んだ社会科学的発想ををエッセイスト的視線で伝えようと考えるに至り、現職。 ではでは、よろしくお願いいたします

人生計画にはあるはずのなかった想定外の出来事なんて、思いもかけずに何の前ぶれなく容赦なく突然やってきます。
必死に努力して築き上げてきた環境もキャリアすらも、悲しみなどと軽く言えるようなものではない、そんな言葉に出来ない家庭内不幸などで一変するのが、現実というもののようです。
それでも、虚脱感に浸る猶予もない事実、とにかく前を向いて生きるしかないのだと感じはじめると、それまで恵まれていた自分には、幸福に浸っていた自分には見えなかった世の中の不都合な真実なものが、かなり具体的にみえてるように思えました。

人一倍この国を愛しているが故に、時には手厳しくあっても構わないのかもしれないとも思いました。

政治家のセールストークとは裏腹な現実を知り、嫌悪すべきは「世間」というこの国にしかない独特なムラ社会的な慣習や、子供達を卑屈なものに導いてきただけの教育委員会、この国を植民地化してはばからない霞が関の官僚、権力を得て以来横暴久しい司法関係者達にたいする見る目も変わった。そして医療業界も。

勿論、全ての権力者たちがそうであると言うつもりも毛頭ありません。

世の建前の裏の本音という不条理が次々と降りかかり、手のひらを返した態度で平気に接してくる者達の多さにただ戸惑いながら、時は容赦なく流れていき、人の心の移ろいやすさと、目に見える確かなものなど殆んどない、多くの社会の不都合な現実の存在に気付きました。

無意識のうちにやっていたことといえば、自らのことなど省みる余裕もなく、ただ、必死に子供達をこの世の中の現実に晒して卑屈にだけはさせまいと守ろうとしていたこと位だったかもしれません。

しかし、ふと見方を変えてみたら、これら全てがどこか何かのメッセージである様にも感じだしている自分も存在していました。
見せかけだけのこの国の偽善と建前の社会保障の中から、今まで見えなかったものが見えてきたからかもしれません。

だから、そんなことを徒然なるままに、しかし敢えて<辛辣>に<面白おかしく>書き綴くことを思い立ちました。

さあ前向きに行こうとするか!我が愛すべき2人の心優しきやんちゃ坊主とともに。

そして、私は切に願うばかりだ。
我が子同様に世界の子供達もまた、その限りない可能性に満ちた未来が、等しくいつの日にか真に明るく輝くものになるようにと。

言いたいことを言うのは簡単、それはよく分かる・・・


 医療や社会福祉について書き込んできましたが、「では、どうすればいい?」のかがずっとないのが気がかりでした。

 もっとも、正しい医療機関のかかり方などの記事は、その不都合の解決策ではあるけれども、これだけではパンチが薄いと、やはり感じます。

 とはいえ、正直、これだけ現実と世間の認識が解離していてはどこから手を付ければいいやら、難しい本音もあります。ただ、一つ言えるのは、これまでこの業界で比較的その中枢にいて、語弊があるかもしれないけれども、その不都合な真実の恩恵を受けてきた者だけが、この真実と改善への提案と、この不都合な真実に満ち溢れたなかで賢く生きる術を伝えていけるのだとは思います。

 そんなわけで、趣向も一旦かえて書き始めたわけですが、とにかく身近な問題からはじめてと・・・、さっさと本題行けよ!って感じですね。

 幾つか事実をならべて、それが解決できるものかどうか?

 まず、国民皆保険制度は崩壊しています。

 大体、皆いい医療を受けたいと思っているはずで、でも、全ての医師が同じスキルではなく、かといって良い医療を受けれる人の機会が均等なんてありえないでしょ。

 だったら、アメリカの様に金も物言わせて、それで自己責任で医療を看視するのもどうかと個人的には感じます。

 この世の中は大凡何かを得るためには何かを支払う仕組みになっているのならば、これだけ発達した医療も理想だけでは語れない。しかも、これからますます高齢化は進み、医療に関わる人は確実に増えるのは明らかならば、個人個人の意識の変化も大切でしょう。

 一気に書いても、混乱するだけと思うので、これがベストというのではなく、例えば一例を挙げて見ましょう。

 
 1、煙草の税率を上げて、一箱あたり1000円が国際的な相場かと思います。
  
 <それでも吸う人は喫煙を辞めたりしないし、そしたら税収は上がる、けども辞める人も増える、臨床の場にいれば本当によくわかるけれども、実に煙草が原因となっている病気の多いこと多いこと。
 また、辞める人が増えた分だけ(病気になる人は激減するから)社会保障費は下がる。
 しかし、世の中の嗜好品をことごとくダメという世の中も味気ない。
 個人的には今回の選挙で新党改革から立候補してタレントの高樹沙耶さん達が公約にしていたマリファナ解禁(厳密には医療用マリファナ、その境がよく分からないけれども)はどうかと思っています。
 色々と問題も出るでしょうけれども、一度、これまでの国民のお見込みも含めて真剣に議論する余地はあると思います。元々アメリカの煙草産業から今は我が国の煙草農家の保護を目的とした色合いが強いのは明白で、少なくとも煙草よりは危険は少ないのは事実。実際、依存はないし幻覚等も殆どないといっていい、何より、マリファナ性なんとかという病気もない、ついでに、専売にしたらこの国の借金もずいぶん減るのでは、問題は農業団体の反対をどうするか、それは政治家と官僚の皆さんのお仕事> 

 2、通常の診療費に100円だけ+すること

 <とても安易なようですが、100円余分に診察代から引かれていても余り気にならないのでは?
 試算では1兆円規模になるとも言われています。ただし、ここで決してしてはならないのはよくある「所得に応じて云々」というやつ。それをするのに余分なお金がかかります。ここは一律で>

 3、風邪ごときで、安易に病院にかからない。
 
 <政府も医師会もなぜこれを啓蒙しないのか、ずっと疑問でした。しかし考えてみれば、外来で圧倒的多数を占めるのは「風邪」で、ある意味ドル箱ですよね、と考えるのは穿った見方か?
 また、風邪は万病のもととも言いますし、じゃあ、風邪と思ってかからずにいて実は大きな病気だったらどうするのか?という議論。
 しかし、北欧や英国連邦によくみられる医療費がただの国でも、風邪で病院にかかる人は殆どいないのだから、まず、①風邪に効く薬はない(あるのは症状を抑える薬だけ)②特効薬がないのならば、ぶっちゃけ無理して病院行くよりも、家で安静にして栄養保温を意識してよく寝たほうがいい気がするのだけども、とにかく水分だけはよく摂る事は進めますが。
 そしたら、市販の風邪薬とやらもたくさん売れれば値段も下がるんじゃないのかな・・・。>

 4、5,6、・・・。
 少々、過激というか、反発も多そうなので、今日はこの辺りで・・・。 

 ではでは、また次回

 ba4981e7
 

これから手術室に向かう人達の不都合な真実


 あなたがもしこれからリオジャネレイロのオリンピックツアーに行くことになったことを想像して下さい。

 この度に当たって、余程バックパック的な旅慣れ等のある方以外ならば、通常は旅行会社を訪ねますよね。

 とある大手の旅行会社に、少し緊張しながらも、その扉を開けて、新しい知らない世界に思いをはせながら、スタッフの方にあれこれその段取りや値段などにが頭の中をよぎっていること思います。

 しかも、ずっと苦しい練習に耐えながらも、出場決定戦で惜しくも次点という結果に終わった愛娘に幸運の女神がほほ笑んだのか、選ばれた選手が怪我で辞退となり急遽夢の舞台に立てることになり、恐らく年齢的にも最後のチャンスとなろうと思われるその晴れ姿を一目見たいと、苦しい家計の中から何とか夫婦で応援に行きたい思いが抑えられないという事情もありました。

 また、前々から東京五輪の前に一度自国以外のオリンピックを人生に一度くらいを見ておきたいと、好奇心旺盛なあなたは強く今回のオリンピックには想いをはせておりました。

 
 さて、ここで問題です。
 あなたの担当となった窓口スタッフの方はあなたの要望を一通り聞いた後に二つの提案をします。
 ブラジルはとても遠く直行便もなく、オリンピック期間中は何かとオフシーズンに比べて割高故に、あなたはより費用対効果を要望の中の一つに入れていましたから、窓口の彼女は二つの提案をしました。

 
 さてあなたは彼女の提示した二つの提案⇊のうちのどちらを選択しますか?
 
 1、この時期の通常のツアーのうちで精一杯合理化をはかった金額で、と前置きがあったうえでの提示は「9泊10日でリオまでの長旅でお疲れとは思いますが、当社として可能な限り快適な環境に尽力いたしまして、54万9千円です」であり、続けて「最新の飛行機で途中の空港ではパイロットの交代も含め安全にも配慮いたしております」と提示がありました。
  
 ここであなたはまあそれくらいするわなと思いながらも、娘の競技生活に資金を費やしてきたこともあり老後の資金も充分とは言えず、今は既に年金生活に入っているあなたの脳裏には、予算的にかなり厳しいなあと深く悩みつつ切ない想いにさいなまされ、せめてもう少し近いところでのオリンピックであったならと、どうしようもない事を考えている自分を情けない想にひどく落ち込みました。しかし、そこに例の彼女が次の提案をしてきました。

 2.「これは当社の通常のツアーとは違う、格安プランがございまして、こちらですと同じ9泊10日で同じホテルで、ツアー内容も同じながら、ズバリ!11万9千円というプランがございます」と、余りに魅惑的な提案がありながらも、全く同じ条件なのに、余りに格安過ぎて、あなたは不安になり(当然ですよね)、その疑問をそのまま例の彼女に思いの丈全てをぶつけてみました。その返答は「こちらのプランも当然当社においてできる限り安全には配慮いたしますが、ただ、昨今のパイロット不足もあり、当日のパイロットが徹夜でのフライトとなります」と涼しいか顔をして返答してきました。「勿論、そのパイロットは学生時代からずっと運動部で活躍してきた私の知る限り最も体力のあるパイロットですし、本人も1日2日の徹夜など平気!平気!とその頑張りと仕事熱心にも社内において定評のあるパイロットですから、問題ないかとは思いますが」とこれまた涼しい顔をして続けました。

 悩む男アート


 ここで、あなたはどうするか、それはまあいいいでしょう?

 でも、現実的に2を選ぶ人は少ないのではないでしょうか?

 不安ですよね?

 しかし、では、現実に多くの総合病院では約6割の術者が実は徹夜明けとしたらどうでしょう?

 先日のブログにも書きましたが、マスメディアでは医師不足が叫ばれて久しいですが、日本の大半の人口をカバーしている程度の街においては、余り医師不足は実感していないと思います。
 その主因は開業医の多さです。
 開業医の不都合な真実においては先述したので、ここでは割愛しますが、医師不足といわれる本質は以下一度復習しておきましょう。
 医師が足りないのは、開業医ではなく勤務医である事と、医師不足というよりは医師の偏在が結果的に医師不足の問題を引き起こしている、この2点につきます。
 今回は後者は次回においておくとして、前者の一部、特に外科医の現状を「そっと、書いておきますね」(知らぬが仏かもしれませんが)。
 
 慢性的に医師不足の勤務医にあって、特に外科医の不足は深刻です。
 勿論、Opeは一人でするわけではないので、全てとは言いませんが、概ね(所謂)執刀医といわれる術者の他に超大雑把に言って、第一助手(所謂前立ち)と第二助手が実質的な執刀医として存在します。
 その手術にもよりますが、第一助手は執刀医を補助するなくてはならない存在で、それなりの経験も必要です。ただ、第二助手といわれる執刀医の多くは駆け出しの見習いの外科医が言葉に語弊もあるとは思いますが、詳しい説明も面倒だし、ここではそんな専門的な事はどうでもいいので、極論的で乱暴な言い草ですが、まあ、雑用係です。拘引き(術野を見やすくするためにひたすら2つの取っ手のついた引き棒で引っ張り続ける行為)等、まずは見て覚えろ的に身近にベテラン医師のスキルは見れるのですが、とても辛い。
 まあ、こんな感じで行われるのですが、例え第二助手といえども、単純さゆえに寧ろ徹夜明けは眠さも募り、かと言って、集中力が切れては大きな事故にもつながります。
 また、当然、外科医はその数からもなかなか年齢を重ねても当直免除にはならず、また、外科医の当直はまずまともには眠れません、しょちゅうoncallで叩き起こされます。
 しかし、医師は看護師と違い、当直の翌日も休みではなく通常勤務です。

 外科医といえば、医師の花形である事は、外科医でない私からしても認めないわけにはいかない、正直、さっそうとしたかっこよさを感じますが、心身ともにボロボロな医師の方が圧倒的に多く、最近は女医さんが増えてることもあり、ますます外科医の成り手は減少し、ぶっちゃけ気の毒。
 しかも、先述した通り、外科医のあれだけのスキルがあっても外科医の主戦場はやはり病院なので、その診療報酬と現実との兼ね合いはお世辞にも釣り合っているとはいえず、有り体に言えば、割に合わなくて、大変な割に、金にならないというわけです。しかも、体力9割という過酷さ、眼の問題もあり、盛りの年齢的期間も決して長いとは言えない。

 そんなこんなで、本題ですが、仮に3人がメインのOpeとして3人が当ty⑨明けでない可能性は極めて低く、その中で、やり繰りしているのが現実で、確実に昨今の医師のスキルは昔より上がっているものの、最近の医療過誤のニュースが後を絶たないのと、相関関係がないといえないのではと考えるのは私だけだろうか・・・。

 かといって、医療行政の失敗を認めるわけにいかない厚労省が本当のことを報道させるわけがない。
 なぜなら、有効な手立てが打てないまま先送りしてきたのだから、いや、うたないまま先送りしてきたのだから・・・。

 疲労


 とまあ、少々脚色付きかもしれませんが、徹夜明けの手術が普通に横行しているのは事実で、その他の多くと同じく、本当のことを知らされていない、というか、庶民に余り賢明になられるのって、何時の時代も為政者にとって不都合なことが多いし、実際、完璧な世の中なんてないのだから、所詮人間の分際で高尚な建前だけ声高に偽善者ぶっても、誰も幸せになんかならないのに・・・、だったら、情報は公開して、皆で考えればいいではないかと思うんだけども・・・。

 でも、この国の人々の多くは未だにテレビで報道されてることを信じて生きてるし、実際、そのほうが幸せなのかもしれない。国民皆保険がそんなに素晴らしい妄想を持っていたほうが、真実を知るより幸せなのかもしれない。ただ、その為に、マスコミ(その存在を否定してません、寧ろ今後ますます必要なものだけに期待したいのです)のいいネタに患者想いの医師程狙われている現実もまたあるのを見てしまうとやっぱり切ないし、何より、そこに患者目線があるのかと、そしてそんなに病院や当事者の外科医が悪いのかと時々想います。

 もっとも、ろくでもない医師も多いのは残念で、年々表面の笑顔作りだけ上手になって、中味はささくれ立っている医師が増えてる気がしてならないのと、知らずに徹夜明けの執刀医のOpeを受けている現実に、世間の歪みを感じたりもしてます。

 それでも、殆どの機関病院の医師達はその使命を全うしているので・・・。

 う・・・ん、うまくしめれないなあ。
 とまあ、ではではまた次回(強引(^^ゞ))

 



   

 
 




 

最もセーフティーネットが整備不良で、社会に不都合なマイノリティ


 それは一人親家庭だとこの3年半で強く感じました。

 一人親家庭の親達のバイブル的な名著「ひとり親家庭」(岩波新書)でも、政府統計を丁寧に分析して書かれている内容から示されているように、独立して時間のマネージメントを可能に出来る人か、まだまだ元気な両親(特に母親)と同居か、いわゆる<スープの冷めない距離>で健在でいる人以外は、この国の社会のセーフティーネットからも、この国の傲慢なジコチュウー的な貧困な民意からも、どちらの観点から考えても、社会から転落していく以外にあり得ないのは、残念ながら現実です。


  時間の貧困(仕事に忙しく時間的余裕がない)、
     関係の貧困(周囲とつながりにくい)、
       金銭の貧困、
       健康状態の貧困,


 そもそも、この少子化の時代に、今、我々が育てている子供達に支えてもらうはずの、現役世代から団塊の世代は余りにも冷淡で不寛容。
 そんな不義理にいるのならば、普通の家庭ならば夫婦2人で24x2=48時間なのだから、一日48時間くれよ。と感じます。もしくは、もう一体クローン人間を作れよ、と感じます。
 勿論、養育の責任の第一義は保護者にありますが、二義的には社会の大人たち全員にあるはずで、私は自分一人で大人になった人を一人も知りません。

 とある、友人が友人に充てた手紙を紹介します。
 上記と重複するところもありますが、よく言い表していると思うので・・・。
    感情が入り込みすぎて少々乱文的な部分も目立つけども、私の取って付けた文章なんかより、それだけ素直な想いを綴っていると感じました。 なので、中略以外手直しせずに載せました(勿論、許可は取ってます)。

 疲れた子供



(中略)
 ただ、折角の機会なので意識しておいてもらえればとも思いました。

   一人親家庭は外から見るよりも、ずっとずっと大変で、普通の夫婦ならば、二人で24x2=48時間あるところを24時間で一人でこなさねばならず、いざという時のスペアもいない。

   誤解を覚悟で言えば母子家庭をも含めてあらゆる社会のマイノリティの中で、もっとも社会のセーフティネットからずれていると思う。
 まだまだ男性社会の日本では、その大変さを理解されることも少なく、それでも他の家庭と同じ事を学校でも公共の場でも要求されるし、仕事の融通の要望もやりにくい空気感の中で過ごさざるを得ないし、ない人は全くないから尚更わかりずらいけども、想像以上に偏見にもさらされる。

 国は子供は社会の財産で、社会全体で養育していくとうたって、その法整備も進められはしているが、何処かずれているし、有名無実な部分も目立つからか、確かに子供の成長や福祉に対する責任の第一義的には保護者にあるだろうが、第二義的には社会の大人達にあって、社会が複雑化するにつれてその責任の率は比例する。

 そもそも、俺は一人で次世代二人を養って、その次世代に老後の支えとなるのは今の現役世代から団塊の世代辺りになるわけで、ぶっちゃけ、現実は俺には割りが合わない。

 しかも、俺は何も変わっていないのに、かってと違って、当たり前も正論も通用せず、結局、これまでの実績とて自分の力なんかではなくて、所詮はそれなりの後ろ楯があってのことだったのだと痛感させられるのは、やっぱり悔しいものだ。

 いさかいが絶えないのも、俺が必要以上の礼を言うこともなければ(普通の範囲ではするが、一人親だからというところまで踏み込んでまでは、平伏しない)、学校行事においても、大人二人の家庭と比べて配慮のないことは拒否もする。

 代案出すまで、徹底的に議論も吹っ掛ければ、子供達が卑屈な想いになる可能性のあることには、如何なる理由にも反論して、その議論で建設的な意見を言えなければ、とことん自己主張する。

 そしたら、所詮は世の中の奴等の大半は偽善者にすぎないことが見えてくる。

 こういう生活は実際とても疲れるし面倒くさいし、逆恨みにも合いやすく、そのバランスは一番の難しい点かもしれない。

 俺はそれでも一人親家庭の中では恵まれている方なので、SNS等を通じて、卑屈になってる一人で頑張っている父親母親のことをも踏まえて、俺は寧ろ積極的に権利を主張しなければならない責務を感じている
親が卑屈になれば、子供も卑屈にもなり、そんなことは間違っている。

 とまあ、そこまで正義感振りかざして鼻息あらくまではしたいわけではないけども、ある程度は譲れない一線を何時も抱えて生活しているのは確かです
 それでも、窮屈な生活で人生を無駄に過ごさねばならないいわれはないので、工夫しながら、マイノリティなりに生活スタイルを安定させて、思い煩うことなく、楽しく愉快に生きていきたいと思っていることの一環が、今回の事業の動機の一つでもある。

 とまあ、そんなに肩に力を入れてるわけではないけれども、やっぱり、時間が限られたなかでも、社会性のある生き方をしたいとは思っているので、どうやら、外からはその程度のことをすることでさえ、人一倍の工夫と頑張りとプライドが必要だということは見えないらしい。

 今の自分の存在というか、有り様はそんなところです。

 本当はこの環境においては、より金が必要なのに、大人一人だから効率も悪くならざるを得ないのは、社会の不寛容さゆえであることも多くて、また、常に足元を見られがちです。いさかいも、公の場に持ち込まれれば、多勢に無勢で戦にもならずに退散せざるを得ない屈辱も日常茶飯事で、そこから逃れるためには、釈然としなくても、一般家庭よりもかえってお金けざるをえない。

 行政は何かと金をばらまいて、よき計らいでもした気になっているけれども、我々は乞食ではないので、些細なばらまきの資金があるなら、生活の質の向上の工夫や施策の方に目を向けてもらいたいものなのだが。

 環境が整備されれば、あとは働けばいい。馬車馬みたいになる必要もなければ、次世代を当たり前に安心して育てれる社会のあり方は、本来はその他の様々な社会福祉政策の効率化につながり、効果をあげることになると思うのだが、霞が関の完了達にはインテリジェンスはあっても、イノベートな行動を恐れすぎているから、今はこの国に未来を感じてはいない。
けれども、かっては、この国は高齢者をより敬う文化があったはずだから、今の社会構造でも、両者が共存して幸福を分かち合える社会の有り様があるはずと、一人親になってみて見えてきたものがあるのは確かだと思っている

 (中略)

 きりがないので、やめる。

 お疲れさまでした。

疲れた母親
疲れた母親


 ではでは、また次回。
  

 
  

これだけ増えても開業医の暮らしはなぜ豊かなのか?

 ニュースでは医師不足についてよく論じられています。

 いつも私はその横並びの報道が疑問でならない。

 実際、過疎地等の人々はともかく、多くのそれなりの規模の街において、人々は医師不足を実感しているだろうか?非常に疑問です。
 私が今住む街は70万そこそこの政令都市であるが、まさにコンビニの数と同じくらいにクリニックの看板を見かけます。それこそ過当競争で、倒産の話の一つもあってもおかしくはない気がするのだが、それどころか、殆どの開業医は勤務医のそれよりも遥かに裕福な生活を享受できているのが、現実であろう、私のすぐ傍の皮膚科の開業医の家もこの街では最も地価が高く、やや高台にあるその地にあって、ひときわ豪邸といっていいほどである(それがいいとか悪いとか、そんな小さなことを言いたいのではありません)。

 まず、そのヒントというか、この疑問を解く2つのカギについて・・・。

 よく政治の世界から聞こえてくる「世界に誇る国民皆保険」(らしい)によって、確かに原則的には貧乏人も金持ちも同じ医療を受けられるということになっている(らしい)。
 しかし、この資本主義の社会をうたう国にあって、この原則をそのまま受け取れば、この政策は極めて社会主義的な政策(それが悪いという意味ではありません、もっとも良いものと私には言えませんが)ということになることに、まず気付いているでしょうか?
 社会主義というよりもはや共産主義的でさえあります。
 しかし、それを成り立たせようと思えば、患者側を平等に扱う為には、当然、誰しもより腕のいい医師に診てもらいたいに決まっているはずですよね。しかし、そうなれば、貧乏人も金持ちも我も我もと名医の誉れ高い評判の医師の元に殺到することになってしまいます。
 そんなのは、現実的ではないですよね。
 では、どうであればそれが解決できるか?
 それは、医師は皆同じ力量であることだけが、この問題を解決する唯一の手段です。が、そんな事ありえないでしょ。でも、そういうことにしているのが、国民皆保険制度です。だから、3年目くらいの駆け出しの外科医が脳腫瘤のOpeをしようが、神の手を持つ男と言われる医師であろうとも、診療報酬は同じであって、皆さんが窓口で、払っている金額の一切は病院側には裁量はなく、全ては霞が関の会議室で決まった金額を請求されます。
 つまり、その腕に関係なく、この診療報酬というやつに生活を守られているわけです。
ちなみに、天皇陛下の心臓手術の執刀を担当した天野教授は、今(?この点に関してはまた後日)の日本の医療界において、opeの技術判定を計る基準もはっきりしてわけでもなければ、そういう数値化するものも組織もないので、誰が一番かとまでは決めつけれませんが、それでもトップクラスであることに間違いはありません。
 でなければ、陛下の執刀など任されるわけもなく、しかも、東大チームとされていながら、とうの執刀医は東大ではなく順天堂大学(ちなみに第二執刀医も東大の医師ではないはずです)の教授であることからしても、それだけ、誰もが認める技術を持っているという事です。
 が、その天野先生が特に金持ちというわけではありません。寧ろうちの近くの無名の皮膚科医の先生の方がお金持ちでしょう。それは、例えばiPS細胞で有名な山中先生も同じです。

 そう少しわかって頂けてきたでしょうか?
 例え天皇陛下を執刀しようが、特別料金ではなく、普通にその辺で暮らす人達と診療報酬は同じですから、天皇陛下を執刀して、名誉は得られたかもしれませんし、多くの陛下を案じる国民の心配を見事に解決仕方もしれませんが、手当もボーナスもありません。3年目の駆け出しの医師が行った場合と同じ金額が入るだけです。

 ここまでだけでは、まだ釈然とは出来てないですよね、さすがに。
 なんとなく、要するに、能力や働きと報酬に相関関係がないということが分かったくらいだと思います。

 では、これは如何でしょうか?
 医師会というものについて、どれだけの国民が医師の団体ではないということを知っているでしょうか?
 正確には、一応医師の団体ではありますが、厳密に定義するには、ここでは書ききれない複雑なヒエラルキーのようなものが存在するので、本質論(医師によっては極論といわれるやもしれませんが)で定義するならば、開業医の団体であって、勤務医が医師会に所属していても、殆ど恩恵はありません。

 つまり、開業医は法曹界や大企業(経団連)などと同じく、政治的圧力団体と時に揶揄される様な存在を持っていますが、勤務医には政治的に影響力を持つ団体を有していません。

 病院と個人病院(クリニック、無床~19床以下の診療所)とでは、診療報酬は同じではありません。
 開業医が増えれば、その者達を食べさせていけるように、ちゃんと医師会が政界と診療報酬で調整してくれて、前回のブログでも書きましたが、外来における集患に対しては、必ずしもそのスキルが全てではない他に求められるものがあるので、それはその医師の能力とは関係なく、しかも、開業を決めた医師は一般的に医療コンサルタントの指南を依頼して、集患術を伝授される仕組みまであるので、開業医が増えたならば増えた分だけ、ちゃんとこれまでとたいした差のない暮らしが成り立つように、口利きが出来るのが、国民皆制度の一方の側面でもあるのです。
 無論、ここまで都市部に集中すれば、昔のようにはいかない部分もあり、開業医の先生も話せば愚痴が出る今日この頃ではありますが・・・。

富士山
 
 ただ、ここまで書いておいてなんですが、少しフォローもさせてください。別に開業医の先生にこびへつらっての事ではないので。
 実際、開業医の先生は大変です。
 特にメジャー系(内科、外科、小児科、産婦人科)の先生などは、開業にも今は医療機器の発達で設備投資に相当資金が必要ですし、なにしろ、その先生を頼ってきている患者さん達に対する責任を一人で背負っているので、なかなか時間のマネージメントに苦慮しながら、心から休まりにくい日々である事は確かで、ここまで言っておいてなんですが、過当競争もストレスになっているはずです。
 私の開業医の子弟の同級生達は家族旅行の記憶も殆どないという話もよく耳にしました。
 診療時間で空けている時間は書類仕事は出来ないので、外からは見えない時間帯の仕事量も半端なく、しかも、守り神の医師会との関わり合いは不可欠なので、その付き合いやら、上納金(すみません、品性のない言い方ですね)も半端なく(地域によりますが3百万とも言われたり、まちまちですが、かなり高額です、ちなみに、医師会がどういう団体かを表すのに格好の例として挙げておくと、勤務医が医師会に入ったとしても高くても数万円です)、しかも来る日も来る日も外来ばかりもどうなのかなあ・・・、私はきついと感じてしまいますが。

 まあ、いい事ばかりではないという事ですが、そんなことは、業界の言い分であって、問題はそこに患者目線があるのか?ということになると思います。
 医師がどうのとかという議論は、まず、患者目線が前提のはずであると思うので、今日の文章はその点では問題提起の意味では価値が薄いと言わざるを得ませんが、知っていて損はなく、そのうえで、うまく医療リテラシーを高めて、賢い患者さんになる一助になるのではとは思います。

 と、フォローしたというか、こういう現実もあるということを書きましたが、では、結局、どうするべきかにまで至っていない文章に過ぎませんね。

 この制度になって70年、色々とありすぎて、先に現実の開設から初めて、まだ、まとめきれないです。まあ、言い訳ですが、でも、そろそろ・・・。


 うーーーーーーん、再開して間もないので、少し文章に刺激が欠けますね。
 もう少しエンジンを温めて、少しは過激さを取り戻したいと思う今日この頃です、
では、では、次回。

ba4981e7
 

  

病院の正しいかかり方

 どうして、この国ではこんなにも多くの人々が大きな病院にかかりたがるのか?

 政府方針に従う事ばかりがいい事とは思わないし、時には権力に抵抗する勇気は必要だが、社会の流れに乗って行動する方が楽なことが多いことも事実でしょう。
 今の行政はかかりつけ医から状況に応じて大病院へという流れを推奨しています。
 彼等には権力があるので、それを達成するために、200症以上の病院に一元さんでかかると確か今は5000円が初診時にかかります。
彼等も必死のようですね、おいおいそこまでするのか・・・、って感じがしないわけではないです。

 それでも、今回だけは、この施策に私は賛成です。

 病気は現場で対処しているのであって、会議室で治療しているわけではないので(二番煎じ)、この国の医療制度に関して官僚のやる事成すこと、その行政方針には壁壁する位に不満は多いですが、大病院にかかる前にまずはかかりつけ医へという方針には賛成です。

 確かに、大病院には最新の設備があり、機能的に出来ており、医師の数だけ専門の診療科も多い。
 一見、安心できるのでしょう。

 今の医療の問題点の一つがジェネラルに対応できる医師が軽視され、専門医ばかりが評価される業界の体質にある故に、個人病院の医師とて広く診れる医師ばかりではなく、開業前は普通に大病院に在籍していて、やはり何かを専門として勤務していたはずから。開業したからといって、急に広く病気を診れるようになるわけではないどころか、医療のスキルというものは医師になって3年間が勝負でその間に如何に揉まれるか、そして残念ながら生まれもってのセンスがものを言います。
 反論する医師も多いとは思いますが、これが私の経験上の感想です。
 医師になりたての頃に委縮して、それこそブラック企業勤務並みに臨床経験を積むことなく、その後、一大決心して勉強し始めても余り成果は上がりません。少し不条理かもしれませんが、それが事実です。
 だから、それから専門馬鹿になっていしまってから開業しても、広く診られないものです。
 
 しかし、そうでない振りは意外にうまくできる。医学は自ら言うのも気が引けますが、とても難しく奥が深いものなので、素人からはその医師の能力を的確には見抜けませんから。
 だから、たいした技量もないのにとても優しく表面上接客の如く対応できる開業医が流行っていることも決して珍しくありません。

 それを踏まえて、この場での一つの結論は「日本人は余りに医療とのかかわり方が下手過ぎて見ていられない」ということです。

 では、どうしたらいいのか?
 
 まず、1つには近所の開業医の情報(口コミも含めて)を集まて、とにかく色んなところに行ってみて試してみること。ただ、業界の者の率直な意見としては、口コミはそれほどあてにはなりません。もっとも、それはそれぞれの価値観の問題で、極論で敢えて言えば、優しくて人辺りはいいけれども実はたいした臨床能力はない医師がいいか、どこかそっけない感じではあるが臨床能力は確かであるか、そのどちらがいいか?そんなところです。
 
 2つ目としては、極端な話、相性が合えば誰でもいいと割り切ることです。無責任なようですが、開業医でやれるレベルの医療(開業医にも色々な形態がありますが)はたいしたことはできないですが、大凡の見当はつきます。特にそれが大病院が必要であるか、否か?くらいであれば。
 ここで誰でもいいといいながらも、「相性」ということにはこだわったのは、患者と医師との間に信頼関係が築けていれば、医師の能力の発揮の仕方も変わるからです。つまり、患者さん側から医師の持つ能力は引き出せるという事です。



 大病院に行くことに安心感があることに対して理解できます。

 しかし、忘れないでいただきたい、患者側にかかりつけ医をどこにするかを選ぶ側にいるという事を。

 そして、大病院にかかるという事は、経験された方も多いと思いますが、殆ど1日作業です。
 そして、よく言う長い時間の待ち時間に対して3分診療と表現される、決して恵まれた医療を受けれるわけではないということで、それは外来を担当している医師も病棟には受け持ち患者がいて、自分はともかく、病院勤務の殆どは一般職であり、労働基準法の下で働いている以上、決められた時間内に来院した患者さんをさばかなければならないということです。
 それに比べれば、開業医はもう少し余裕があるはずです。

 幾ら名医であっても診療時間を充分取れなければ、名医でなくなる可能性も高く、高度な医療検査機器があっても、一元で受診した場合、それが救急でもない限り、その検査も予約するのだから、それならば、かかりつけ医の紹介状があれば、検査も早く、問診も終えてその時間を大病院にかかる時にはその時間を短縮でき、更には先の様に信頼関係の築けている医師からならば、御自身のことをよく知っている医師の紹介状があるのと初めての患者さんを診るのとでは、効率が違います。

 つまり、今の現状は中核病院に患者が集まりすぎて、そこの勤務医は疲弊しているのが現状で、だから、いい加減、病院勤務に疲れた医師が開業へ流れ、とりわけ都市部ならば、今ではコンビニの数と変わらないくらいに開業医があふれているのです。
 ならば、それを利用しなければ損であり、それは中核病院を本当に必要としている患者さんに「時間」というものを提供することにもつながり、開業へ流れ過ぎて医師不足に陥って、残された勤務医の疲弊を軽減することはより良い医療につながると思います。

 昨今、医療過誤のニュースが多いですが、医師の技量が私には落ちているとは考え難く(寧ろ上がっていると思うくらいです)、それ故に今のこれらの現象と相関関係がないとは言えないと感じるのは私だけでしょうか。

 富士山2
 
 次は、では、なぜこの国の一般的なシステムにおいてなお、増え続ける開業医でもその多くは富裕層と言われる存在でい続けられるのかについてなどを議題にでもしましょうか・・・。
 

 

遺憾ながら復帰のきっかけは整ったのか・・・、

もう、どれだけの期間が過ぎ去って行ったろう。

確かに色々とありすぎた。

ブログでこれほど人に迷惑かけるとは思いもしなかった。

客観的な発信がこんなとこのページを激しく荒らす様は、ただ驚いた。
以後、書く意味(いや、意義が?)を見失ったまま時は流れ、激しい物(かなあ・・・)はざっくりと取り去 り、とりとめのないものを残して再出発の機会を与えていただき感謝です。

整ったのは言うまでもなく、例の都構想の敗北。

大阪市出身の僕には痛恨の極みで、故郷を見きざるを得ない切なさと憤りに、正直、まだ放心状態から抜けてはいない。
ただ、書ける、それは確信できたかな。
少年時代、強豪と言われるところでのバリバリの体育会気質の世界で流した汗と涙、それでも持ち前の負けず嫌いが支えとなり、目から血のにじむ思いで勉強も執念で乗り切った、そんな特別な場所。

あの時、あの時代、確かに大阪は他の都市とは違う気概があった。

もうあの時は戻らない。稀代の政治家(好き嫌いはあろう、それはわからんでもないが)を葬った大阪市民の罪は重い。

大阪市民は試されていたのだ。

僕は正規の規定による政令都市で唯一の人口減である大阪市にあっても、それでも、霞ヶ関官僚に抗うぜる唯一の都市であるという思いが、誇りに思っていたのだが、もはや時代は流れていたということか・・・。

リニアが通る、大阪には名古屋に遅れること20年だ。
これだけでも充分だろう、大阪の終焉を意味する事象例としては。

まだまだ、書ききれないが、冷静さを取り戻して、じっくりとリハビリ兼ねて書いていこう。

ここから我々が学ぶことは、実に多いのだから。

また、橋下氏以前の大阪になど残るものは既得権益くらいで、救いは氏の功績である破産都市から脱却したあとの姿であろうか・・・。
 

焚火をしてたら注意された・・・

そりゃそうだろう、当家の賃貸の戸建には庭と呼べるほどの広さはない。

下がコンクリートでなく土であるという事が敢えて庭と呼べる,広さ的にはバルコニーレベルだからだ。

そもそも、この時期に焚火をするような奴などいるものか・・・。

こうやって並べてみれば、やはりどう考えても私が悪い。

勿論、細心の注意は払ってしたのだが、問題はそんな事ではなく、燃え盛る火がそんな狭いところから出ていては周囲の人たちが心配するに決まっている。

元はばーバーべキュー用のものを使用したので、 周囲に広がることはないのだが、それでも不審がられても仕方がないだろう。

どうして、上記に並べたようなことをしたのだろう。
バーべキュウ用のものでやるには、余りに大量のものを一気にはできない。

お陰で気が済むのに、一日近くかかった、途中目が痛くなったり、熱い思いも何度かしたけども、やめようという気は起らなかった。


よく、女の子は男性と別れたら、思い出のものを燃やすという、現実に私もされたことがあるし、その時はなんてひどい事を・・・、と思ったものだった。

しかし、思い入れが強いのは、また恋に真剣でその恋愛にプライドを持っているのは、女性なのかなと思わずにいられなかった。

この一年半、父子家庭経験をしてきて、一言でいえば、耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶ日々だったと言えるだろう。

この辺りでどうしてもリセットしたかったのだ。



中には争いも辞さないと考えていたものも含まれていたが、それも火にくべた。

不思議なもので、そんな思いで着火した炎はそこに神が宿るのかもしれない。
とてもすっきりさせてくれる。女の子が燃やしてしまうのも理解できる気がした。

なぜならば、それらの書類等は全て、父子家庭になってからの手のひらを返されたかのような対応や、決して以前ならば経験することがなかった、屈辱にまみれたものばかりだったのだから。

一年半分、それに一日近くを費やした。
その分量やいかなる量であろうか?

私自身は何も変わってはいない、変わったのは取り巻く環境と、育児の為にできなくなった,時間外仕事だけである。
人の感覚なんて容易にマヒするようで、本来は善意でしていたはずなのだが、いつの間にか、することが当たり前になる。

管理医師兼任主夫業など、やれるものならやってみなと言いたくなった事も一度や二度ではない。
足元見られ、j時間がない弱点さを突かれて、いったいいくらの無駄な出費を無駄に重ねたことだろうか?

しかも、まず、ある世代にとっては父子家庭というものは、奥さんに逃げられた哀れな奴という目でしか見てこない場合が多い。
時代錯誤も甚だしいそして、それが偏見につながっていくのだ。
現実は、一人親の20%は父子家庭となり、私も今回の事で知ったのだが、親権裁判においてよく見られる母子優先の原則の横行は、女性保護ではなく、女性蔑視そのもので、究極の偽善的茶番だと感じた。

そもそも、そこに子供の存在などなく、つまり権利は尊重されてなどなくて、

ようするに、女は良質の労働力とは呼べないという考えの者たち、男は外で国の発展の為に労働してもらい、母親には余り外に出られても困るというのが今の司法界の考え方の中心でもある。
なぜならば、子供の事を第一に考えていたならば、この国とは違って多くの成熟された国で採用されている共同親権でいいではないか、そこに何の不都合があろうか?
あるとしたら、大人の事情しかありえんだろう。




まあ、そんな事を考えていると、ふと思う。
最近は悩み始めていると。
どうしても、父子家庭を中心とした社会科学を題材に取り上げる様に考えるようになっていた。

己の事で恐縮だが、元々はこの環境になったことで、これまで見えなかった社会の状態を感じだしたので、それを文章化させることが目的だったはずで、必ずしも子育て論や一人親家庭を絡ませる必要がないことに、今更気づいた感じだ。

私の  役割はこの珍しい環境で、医師という特殊な面夜を持ちながらも、内科の専門でありながら、医局時代の曲の仕掛けに共感したことで、精神保健指定医を取得する経験をして、それ故に精神分析が出来るという事や、認定産業医の資格を得て16年も過ごし、産業医が資格化された第一号をもっていて、労働三法(近年は労働契約法が分離しているが)に関してだけは、弁護士並みに詳しい。
更に日経を読むという変わった医師で、友人は殆どが医師以外のもの立場からだ。

研究所時代には、アルバイトながら美容医療もやり、非常勤ながら売り上げの上位の常連だった。
ファッション雑誌にも出たことさえある。

それでも、主たる担当は血液腫瘍内科で、救急をもこなす,この科は患者さんの症状の予測がつきにくいだけに臨機応変に色んな疾患に対応しなければならなくて、しかも、皆それが免疫能が下がっているので常に重傷で緊急だ。結果的にジェネラリストにならざるを得ない。よって、数多くの疾患の患者さんと接してきたし、色んな科の先生とも連携をとっているので、案外他科の事も詳しくなる。

大卒後のはじめの社会人事始めが海外だったというのも大きいような気がする。
これが、ある程度日本で社会人生活を送ってからの海外留学とは大きく違った。
もし、そういうありがちなスタイルだったらスタンダードを日本的なものから出れなくなっていた可能性は高い。 

そして順調に総合病院での役職を上げていき、時に大きなホールで講演もしたし、そして医師としての大きな志があった、
それが一気に吹っ飛ぶがごときごとが出来,夢もあきらめた。悔いなど当然ない。やはり、親であれば、子供への愛情が前提となり、子供達の未来を犠牲になど出来やしない。

お陰で、これまでの仕事とはずっと低い医療に従事したが、振り返れば、そのおかげで、私は全ての主だった診療科 も病院のスタイルも全部経験したことになった。

そんな人間が、父子家庭になったからというだけで私自身は何も変わってなどいない。
それでも、ここまで人というものは手のひら返したように態度の変わるものなのかと知って正直大いに驚希、憤りも感じた。

医師としての自分だけではない。大凡医学部行っていれば、普段の授業は忙しいから、皆は家庭教師や塾の講師などの割のいいバイとしか出来なくて、限られたありがちなそんなバイトをするのが普通だ。
私もそういった類のものもしてはいたが、少なくともサーフショップでバイトしている医学生もそうはいないだろう、
このおかげで、色々な種類の大学の学生とも知り合い、相応の年配の方もスタッフだったこともあり、普通に友人のように接してくれるから、ここで学んだことは数知れず・少なくとも大いに自分の見識を広げてくれたことは確かだと言えると思っている。

そもそも、小学校から高校まで、特に高校は一番近い公立高校一本だったから、特定の家庭に偏らない普通の人々との生活がそこにはあって、普通の家の子たちが、今も友人として職種も様々にそろっている、

部活動系も小学4年生から大学まで一貫して続けていて、特に小中学生時には優勝経験も3度もある強豪校だったため、練習もきつくて、正直言って理不尽の連続ではあったが、世の中の多くの曖昧な事はここで学んだ気がする

そもそも、この国にある不思議な世界の存在(後にそれを「世間」というのだと知ったが)そのものは、ここで気づき始めていた。
ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

そう考えていくと、私の人生は多種多様で実に豊富な気がする。

ならば、環境の余りに大きな変化そのものをk通して世の物事を観察するたったそれだけで、、私自身に今後の行動次第では、次なる活動もこのブログも何かしらの化学反応が生じてもおかしくはない気がしてならない。


しかし、その為には、それなりの順義が必要だ。しかし、ただそれだけの事だ。

友人からは、お前は常に世の中のすべてを客観視して生きているって感じだなといった類で表現されるし、実際そうなのだろう。

実際、30代半ばくらいまでは笑いが止まらないくらい人生も楽しかった。
その努力も人一倍してきたし、人がうらやましいと感じる者という奴は、実はその裏でその何倍も努力しているものだ。しかし、努力のし始めの数か月は苦しくとも。後々にはその努力も苦にならなくなっていたはずだった。
しかし、今はこのざまだ。まあ、それが人生というものなのだろうし、笑いっ放しの人生など恐らく味気ないだけだろうから、ミスチルの終わりなき旅のような人生がを幸せというものかもしれない。
商品の詳細商品の詳細


最近、ブログが迷走している。 とよく感じる。
本来は、そんな俺が突然、こんな状況になったことにより、初めて見えてくるものがこれほど多いとは考えたこともなかった。
元々、余に起こっている大概の事は考え方次第で、どうにでもなるし、幸不幸すらも決まってくるいう思想の持ち主な自分を生かす道として始めたものだったはずなのだ。

どうせ、このような状況になったのならば、この状況になったからこそ感じれるようになったことを記載していくべきとの想いが働くようになっただけだったのに、

どうやら、本来の趣旨が根付ききらないうちに 始めてしまったのかもしれない。

考えてみれば、趣旨を考えれば考えるほど、何も社会科学や子育て論や一人親家庭や子供の権利についてとかばかり書く必要はないのだ。

今、感じている。
今一度、機会を見計らって、リセットしてセカンドステップに進もう、

もう、焚火は充分だ。 
 

都議会で露呈された、現政権の本当の女性対策とは・・・

この感覚はまったくもってどうかしてるぞ。

都議会の発言問題の件だが、なんなんだどの新聞みても、その取り上げられ方の少なさは・・・。

よくもまあ、こんなことが言えたものだと、正直迷惑なんですけども・・・。

恐らくは、私達の世代にはない感覚だと思う。
でも、人はそうは思わんだろう。女性からしたら、男の意見として集約されるではないか!

以前、このブログでも今の安倍政権の掲げる一見美しく彩られた女性の活性化問題について、本当にこれでいいのか?都疑問を呈したことがある。

反応は様々だったが、少なくとも彼ら世代、所謂昭和40年生未満のバブル世代までの発想 など、所詮こんなもので、今回たまたま調子づいて口を滑らせただけで、どいつもこいつも少子化対策がどうの、その為の女性に活躍しやすいばがどうの,そんな公約を思ってもいないくせによくもしゃあしゃあと言えたものだと思ってはいたが。

要するに本質が分かっていない。

人手不足問題が出てきたら、この老人社会主義国家はここまでなりふり構わずなれるのかと、あきれてはいたが、等の女性達の反応もそれに乗じた行動ばかりが目立つことに違和感を持っていたのもまた、別の意味であったのはその為だ。

再三、そもそも女性議員達は本質を考えて行動しているのか疑問せざるを得ないし、少子化大臣はいったい何をしたのかとも言ってきた。

一億人維持の展望など虚構も著しい政策をぶち上げていたが、絶対無理だから。
それは政治家や官僚だけの事ではなくて、そもそも民意が低すぎる事もよくよく自省してもらいたいものだ。

 
また、全ての紙面で掲載されていたのが、ウオールストリートジャーナルの記事であるが、あんなものこそ気にする必要はないと思うが、如何だろうか?
とかく、欧米諸国は差別問題に敏感だが、それらとて日本のこの手の問題と何ら変わりはしない。

以前、浦和レッズのサポーターのJapanOnlyの垂れ幕にマスコミは過度に反応していたが、勿論、それは欧米諸国の反応に連動しての事で、日本の抱える差別偏見と欧米の抱える差別偏見は本質的に論点が違う。

浦和のサポーターの垂れ幕など,所詮は「日本、チャチャチャ」ていどのもので、外国人差別の意識はなかったろう。
本気でチームを愛する浦和レベルのサポーターともなれば、在日三世から日本に帰化した李忠成が所属しているにもかかわらず、その様なデリカシーを欠いた発想などしない。浦和サポターで李を心から応援していない奴などいないだろう。

欧米諸国はこの手の問題の先進国家に見えがちだが、現実はまるで違う。
そういう人種差別の歴史を繰り返してきたからこそ、その手の差別問題に敏感なだけで、現実に現代ですら勿論そうでない人の方がはるかに多いが、海外で何となく黄色人種ゆえの差別観の匂いを意識した経験のない人は、余程ラッキーなのか鈍化なだけかのどちらかだ。

日本女性は世界の誇りである事を想い、我が国の天皇陛下が男子相伝なのは、その祖先が天照大神であり、この国の守護神であるゆえで、つまりこの国が女神の国だからという事を忘れてやしないか?
images

そもそも総本山である伊勢神宮とて、多神教であるゆえに多くの神々がおわせになられるが、女神の方がずっと多い。

この国の女性の素晴らしさは、その包容力にあると思っているが、どの国にもその国それぞれの価値観の大本に宗教観に基づく生まれながらに自然に身についている感覚があるものだが、その由来の多くを神話からに紐解くことが出来る。
古事記でも日本書紀でもいい、これほどに女神の活躍する国が他にあろうか?

今の日本人のおかしな感性は、敗戦によってGHQごときには理解できなかったこの国の美徳をはき違えたゆえの産物に過ぎない。
日本の精神論に戦勝国ながら恐怖したアメリカが、その彼等にとっての間違いを正した上で、そのはき違えて結論付けた結果としての彼等なりの解釈や感覚が正しいものとなったままに教科書になった。
まあ、その程度の事は歴史上ありがちなのだが、どの国にもおかしな異常な団体が社会に入り込んでそれが普通な振りが出来る輩が存在する。
まあ、それが結局それこそが教育委員会なるものなのだが、そんな組織だから、それを修正することなく怠惰に今日まで過ごしてきた教育委員会が未だに戦後レジームから脱却できていないことにあり、そんな彼等原作の間違った教育環境で洗脳された世代の間違いが目立って、時に目も当てられない。 

ただ、世代が下がるごとに、その手の感覚は改善して、教育委員会の愚かさに気付き出している者達も増えているから、 これからは大丈夫。団塊の世代以上の戯言に余り惑わされないことだ。

私達,バブルを肌で知っているが、年齢的にその恩恵は受けれずに、更にはその尻拭いをさせられているのが、今の中堅どころに差し掛かってきている。

だから、責めるべきは目先の問題を解決できない世代の時代錯誤の感覚の矯正であって、日本の女性達は、差別や偏見というものがそもそも何ぞや的に考えている おっさんの記事も政策も気にせずに、日本女性らしいこの国の美徳を持った生き方を追求してもらいたく、決して欧米諸国の女性などとは違うのだという位のプライドはあっても構わないと私は思うのだが。

もし、その新感覚(海外においてではあるが) の日本の女性像に批判があるなら、それを擁護して誇りを感じれれる日本男子であれる準備が、これからの日本男子に求められる世の中になってもらいたいものだ。

ba4981e7
 

若者批判は大人の怠慢の裏返し・・・

今、丁度「たけしのTVタックル」を見ながら書いている。

いつの時代も大人は自分勝手な押し付けがましいものだと感じるのは、今も昔も変わらないと感じて続けているのだが、ここに「ゆとり」というキーワードが加わって、過熱している尚更そう思わされている。

特にIT化時代に対しての批判が強い。

では、どうしろと言うのかの対案が出ないのも相変わらずだが、これまでも書いてきたように決してそれがいい悪いとか関係なく、グローバル化とIT化は止められないのはどうしようもない。

彼等は気がついたころからPCがあって、スマホがあって、それで世界が回りだしていると、それを使うなと言うのは酷だと思う。

でも、大人はアナログを自慢げにしている大人に礼賛も集まりがちだったりするから、育児も疲れさせられる。

これからの世の中でIT化は止まらないのならば、それを止めることなどできない。
だから、生活の中でそれなくして生活できなくなっても来るし、使えない子にするわけにもいかない。

しかし、世間の勝手な大人は批判だけして、そこから目をそらすから、ネットの世界は今では若者が中心に発展していっている。
その典型が、ソーシャルゲームでありネットつながりのリアルのない世界で、そのうちに三次元についてこれなくなり、ITの知らない時代を知っている我々がまず先鞭をつける義務が次世代に対する義務はないのだろうか?

正直、オジサンオバサンの怠慢に育児は本当に苦労させられている。

DSばかりやってこいつらどうするんだと思い、一人親家庭ともなると心配するのは当然であろう、そうしたら、スマホのGPSは心強いが、いざ与えても、結局ゲーム機と化したり、家族ではなしていても、我関せずに時間も関係なくLINEの世界に入っていくことに、抵抗も感じてはいない。

私がどれだけその弊害を言っても、頭では分かっているようだが、やはりそこにそんな楽しくて楽に楽しめる物があり、それで友達ともつながっていては無下に禁止するのがいいのか分からなくなってしまう。

しかし、多くの家庭では結局はただ禁止にすることで解決せざるを得ないようで、最近の子供たちはおとなしいから従ってはいるが、内心では釈然とは思ってはいないのだろう。
そういう、理屈を説明することなく、また説明する事も出来なくて「禁止」の繰り返しによって、結局、自分で物事を考えないのが普通な子供になっていっている。
ゆとり世代の傾向と対策 イメージ

向上心を持って必死になるよりも、好きなことが出来ればそれほどの見返りも求めない傾向もある。
それを批判する向きもあるが、彼等はそもそも元気なころの日本を知らずに、例えば団塊の世代の人は雑多な空間の中でその生活の大変さを強調されるが、そもそも、人間なんてみながそうであれば、知らない世界に憧れなど抱きようがないわけで、案外それが楽しかったりするし、少なくとも,その時は貧しくても上昇感が世の中に蔓延しだしていたはずであるから、夢を見ることは今よりははるかに容易だったはずである。



今のこの世界で、しかも元気な日本も知らないのに、何に夢を持てるだろうか?
持てるとしたら、スポーツの世界かもしれない。
ダルビッシュ有も田中将大も香川真司も本田圭介も羽生結弦も浅田真央も石川遼も松山英樹もみなゆとり世代だ。

あんな怪物が、これ前の日本のスポーツ界に早々いなかったはずである。

それでも、私の子供時代はDSなどなかったが、今の子供たちよりも楽しかった気がしてならない。



⤵ 
超おすすめの本です。

世界中のこどもたちが (からだとこころのえほん) 

 

ある父子家庭に置ける普通の日常・・・

敢えて、そのまま引用しましょう。

この子育て小国にあっての行政の偽善家ぶりに釈然としない思いを勘案して・・・。


セールストークでごまかせるものばかりではないのだが、反面、そのセールストークに期待して将来に期待を持たされ続けさせられている一人親家庭も数多くいる事を、あなた方は御存知なのか?

たくみな詭弁をもってして、ある意味私のようなものよりずっと純粋で自国の行政や司法を担うものを信じるような無垢なる者達を彷徨わせておいても、、何の意も解すことなくやりすごせる思い上がった官僚の方々及び、子供は得票にならないから先送り続ける少子化対策への怠慢と国民への啓蒙の不十分さを、ことここに至って、そのリスクが現実味を帯びてなお未だ反省の兆しのない為政者に対しただからこそ、私が敢えて原文を引用しようではないか。
天下国家を考えようとしないこの国の舵取り役に向けるべきエネルギーを、他に向けてはばかることを知らない官僚、司法、政治への反省を促す意味を込めて・・・。


前略、正直申しまして校長先生の口先だけの教育長のマリオネット化にはあきれるばかりですが、それでも教頭先生各位関係者方々におかれましては、何かとお考え頂いていることは重々承知いたしております。

また、教頭先生、岡本先生、森下先生と女性の先生が続いた事で御理解は頂けていることとも思っております。

しかし、残念ながら、教育界におかれましてもまだまだ老害の古い体質が残っているのではないでしょうか?

そうと思う以外に、私が精神的に今後も耐え続けていくことは無理でしょうし、これは私でなくとも同じ境遇になった者の共通の現象と考えます。

我が子の安全や発育を見守ることに、両親も一人親も、ましてや父子家庭であろうとも「子供達」には何の関係もないことのはず。

しかし、当家のみが耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶ日々に、子供達はあの劣悪な環境から頑張って立ち直ろうとしておりますが、それでも、まだまだ子供なのです。彼等の力には限界があり、今こそ大人に理解がなければ、私一人の力では如何ともしがたいものがあります。

考えてみれば、今回の問題を引き起こしている張本人たちは、教育長はじめ、後藤さんから、神谷さん、水泳教室の責任者に至るまでみな男性であり、神谷さんを除けば、年代的に育児など決してしていない前時代の遺物とも言えるような世代であり、男女同権意識のない世代に当てはまります。

本有はそんなことは時代は常に変化するのですから、何の言い訳にもならないことではありますが、現実は行政のきれいごととは違い、世界有数の被差別国の汚名を受け、この少子化など本音ではどうでもいいと思っている世代のエゴか世の中を仕切っている現代社会においてはまだ、彼等の頭に、自身の保身こそが第一なのでありましょう。
そして当分の間は解消されずにいることでしょう。

私達世代にしてみれば、我が国のこの老人社会主義体制において生きている以上は、世界の笑いものの一人に一色たんに列せられていい迷惑でもあります。

本来ならば、神谷先生はその世代には入らないことになりますが、残念ながら彼には育児経験がないので、やはり同じく老害の当事者に洗脳されたままなのでしょう。。

その様な腐敗した体制下において、性差問題をも解消できずにいる、本来であれば真っ先に取り組んでいるはずのところでさえそうなのですから、このいわれなき差別を受ける次男は私が守るしかないでしょう。

恐らくは役所とて同じです。、
結局、丸1年半の間には様々な部署に相談を試みましたが協力的な場面など一度もありませんでした。 

本来ならば享受されて当然の児童手当も当家では頂いたことがありません。
理由は先の住所において所得証明をもらってこいと言われますが、父子家庭においては、この国の民意で管理職である私にその様な理由は通用いたしません。それだけを取得するために休みが取れようはずがあるはずありませんし、そもそも、私の所得からいって、例えそれをとって来ても享受できる金額は最低ラインであることには変わらないのです。
それを幾ら訴えても聞く耳持たれず、私が主張すべきは金額などではないのです。児童手当とは子供のためのものであることの意識のなさを指摘しているにすぎません。

こういった体質が、全ての諸問題の根底に根差しているとしか思えず、社会がこぞって父子家庭への非社会的行為を容認するのならば、その挑戦を受けて立つ覚悟にございます。

我が子を気付つけた大人たちは私は決して許さず、私が意に反して現状の環境課におかれて、日に日に当家の雰囲気が心なき者達によって罪のない子供達を見殺しにする社会を容認する現実も伴い、いくら頑張っても、どんどん家庭内は重苦しい空気にさいなまれ、日に日に卑屈になる子供達を私は座して見過ごすわけにはまいりません
この環境をかんがみて、私はこの度のこの状況に自らがいることを、私が受けた宿命のように感じております。生涯をかけてでも、この暗部の膿を晴らす覚悟でございます、また、それをしなければ、この国に生れいずるものとしての義務の放棄とすら思えてならず、それ故にこの問題提起を促していくことが私の生涯の最後の宿命と感じるに至った所存でございます。

次男の健康診断結果をもろくにチェックすることなく、行為の許可も出されましたね。
あの状態なら、いつ心臓発作が生じても不思議ではありません。
一人親の子だからと言って、どうしてかくも卑屈にならねばならないのか! 

事は子供の発育にかかわることであります。
御存じの通り我が国は「子供の権利条約」の批准国であります。
国際法は国際社会で我が国が活動していく以上は憲法に類似するものでもあり、それ故にユニセフ協会は内閣府の一組織を構成しているのです。
この度の事は、余りに世界の常識から外れた行為であり、この成熟した国にあって、教育機関として如何なものでしょうか?

例の死の唯一のスイミングスクールに一人親という事をもって難癖つけられては、素直に言われるままに長い道のりを、その書類を提出すれば、水泳が習えるのだと信じて歩を進めた次男を無下に追い返す行為が、子供の希望を奪うという破廉恥な行為であるとは思はないのでしょうか? 
この問題を率先して解決すべき本来の責任の所在は確かに、地方自治法により教育委員会にありますが、例えそれが無責任な教育委員会による問題処理を丸投げであったとしても、その依頼を後藤前校長が受けた以上は、その条約にのっとって考えてみても、するべきことは単純で、ただ粛々と職務を果たすことが彼の教員としての最低限の義務であったはず。

にもかかわらず、定年を迎えた彼が自らの花道を飾らんがために、教頭にも担任にもそれを言う事をせずに、事が穏便に住むことだけを願い、子供の純粋なる心を顧みなかった。これほどまでに子供の権利までをも巻き沿いにして、大人のしかも校長ともあろう人間の怠慢故に子供の権利が守られないようでは、それならば、この国の少子化が進住むことも当然であり、しいてはこの国の活力をも奪う行為とも言えると考えます。

我々は決してありがちなクレーマーなどではなく、これまで一人身ながら可能な限りややもすれば、矢面に立たされがちな教員の方々に理解も示してきたはずですよね。、
教頭先生の板ばさみ的なお気持ちは理解できないわけではありませんが、それでも、どこかでこの問題の先送りをお考えでいるようでなりません。

物事には準備というものがございますし、最も肝要なことは子供達をもうこれ以上大人の都合や教育委員会という狭い世間の常識で振り回されて傷つくことを避けることです。

水泳教室の対応への注意勧告や市政への報告事項として取り上げるなど、子供の未来の重さを知るのならば何ら難しいことではないはず。

単に、大人の世界のエゴに遠慮して、子供の未来を犠牲にしているにすぎず、その傾向は計らずも一人親家庭に強くむけられる結果となることになります。そしてすなわち、そういう状況を「偏見」と呼ぶのです。
社会は人と人の支えあいで成り立っていることは充分に御存知とは思うので、私の行為にもはや異論はなく、私が唯一我が子とも度も救われる可能性があるならば、速やかなる先生方の善意に期待しての「実行力と結果」のみです。

今、拓海は集団登校をさせてはいません。
自転車で通わせております。
一人親ゆえの苦肉の判断です。
集団登校では運動療法にはならず、ランニングは心臓に負担が多き過ぎます。
かといって、一人親の子に帰宅後の定期ていな運動を課することが国であることは御理解いただけると思います。

食事の関しては、私が引き取って以来、常に気を付け出来合いのもので済ませたkとはなく、朝食も同様です。

それ故に長男は今では標準体重になり、春前までは、次男も順調に遅まきながら体重減少に至っていたはずです。
しかし、そんな努力も例の件から一転して、全てが無に帰しました。つまり、ストレスによるものです。
私の場合は当然の事とご理解いただけると思いますが、ずっと見張っているわけにいかないのです。
そういう家庭の子はこの年にあって、既に高コレステロール症であり高脂血症であっても仕方がないというお考えでなければ、あり得ない数値です。
そんなストレスによるものを、まだ自制心の未熟な児童期の子供相手に頭ごなしに叱れとでもおっしゃるのか?

時勢代の育成意識なき大人は存在するべきではなく、育児のこの複雑化した社会において理解できない大人はこの社会に生きてはならない存在等のが私の見解です。
なぜならば、今は子供は明らかに希少価値であり、この子育て小国において育児を担うものは、私はもっと優遇されて当然と考えるものであり、同情ぶる偽善の中にささやかな自らの養親を満たした気になっている方々に礼などいうつもりはさらさらありません、言う必要があるでしょうか?
私達はハンデキャップを背負っているのであり、その中で今の時勢の最大の懸案である育児をたった一人でになっているのならば、もっと敬意をもって社会のバックアップがあるのが当然とすら思います。
それに異論があるのならば、高齢者になった暁には、どうぞおひとりで彼等の世話を受けることは決してなさらないでいただきたい思いでいたたまれません。
それとも、子供はかってに生まれて、そして生んだものであるという今時には考えられない古典的な考えを擁護されるお立場に、学校はじめ特に教育長、教育委員会はお立なのでしょうか?

私は子供対がそうならないためにも、決して卑屈にならず、信じた道をブレづにまっすぐにしか生きることができません。

そんな生き方をするがために、この掛川という村社会においては、それ故に周囲から疎んじられ嫌われる要因となっているのならば、それで結構でございます。

大人はひとりで大人になったわけではないことを決して忘れてはなりません。

その意識が次世代へとタスキをつなぎ祖国の永続なる繁栄を願うものではないでしょうか? 

                                                           草々

追記、こんな文章ももう何度も身を削って書きつづったことでしょうか?
    それでも、今回もまた、無下に当家のような家庭に置いては、また、裏切られるのでしょうね。
    私は何のために生きているのか、また、何のために生れてきたのかわからず、そんな私のもとに生れた我が子が、彼等が生れいず    る環境を選べないことを考えると、このまま一生私は自己嫌悪を背負って生きるしかなく、懸命に子を想う気持ちを持つことが、ただ    むなしく感じる今日この頃です。
    誰もが所詮は他人事なのですから・・・。

 不自由な家庭で育ったという理由だけで、夢に見たこんな当たり前の光景が、一人親家庭では簡単に敬遠されてしまう事など、日常的なのである。
いざという時の責任を回避したいがための自衛策なのであろうが、その様な言い訳など、生まれる環境を自ら決めることが出来ない子供達に何の関係があろうか?
もし、それが理由ならば、それの安全配慮義務もまた計られてしかるべきなのが、憲法の理念ではないのか?

偏見を持つものは自らが偏見を持つものとは気づかづにいる。

大人はまだいい。そんな社会の歪みの犠牲者はいつも、この国では決まって子供達なのだ。 
プロフィール

榊優

 この国に明るい未来があるとでも本気で思っているのであろうか?この国の人々は、馬鹿言わないでほしい、高騰し続ける社会保障費など、本気になれば半分にだってできる。でも、業界の中枢で実績を残せれる恵まれた環境にいた時には、ずっと私もそれに気付いていなかった、だから、本当はそんなに偉っそうな事はいえないのですが・・・。
 人生において「ある時突然」というものに襲われると、それは必死で積み上げた努力など我関せずだよと言わんばかりに、容赦なくこれまで積み重ねてきた財産も実績も時には築き上げた人間関係さえも奪い去る事があるようです。 決して贅沢が過ぎたわけではない穏やかな生活でさえも、残酷なほどまでに突然一気に吹き飛ばしてしまい、自分は何一つ変わってなどいなくとも、ただ環境の変化で人は手の平を簡単に反すものなのだと、上辺の偽善と共に強烈に思い知らされた。
 パートナーを失い信じがたい深く悲しい猛烈な勢いの嵐が過ぎ去った後に待っていたのは、不条理な日々を矢継ぎ早に突き付けられる現実だった。
 そして、ふと我に返り周囲を見渡すと、2人の小学生の息子達を抱えた父子家庭という、この国の脆弱な社会保障にあって最も過酷なマイノリティとしての存在になっていた。
 しかし、それも人生、これが宿命ならば受け入れよう。折角の経験だといえなくもないではないか。有り難い現実ではないが、そうそう遭遇出来るものではないだろう。
 そうやって開き直ってみたら、これまで見えていなかった光景が見えるようになっていた。
 ならば、折角だ、それを「敢えて辛辣に」発信していこう。そういった行為には、時に反発もあるかもしれない、理解だってなかなか得られやしないだろうから、キツイ想いもすることだろう。なぜなら、そこに触れられては都合の悪い人々が業界を支配しがちなのは、どの業界でもありがちな事だから。
 それでも、この環境だからこそ感れることを感じるがままに発信することに、書くことに、何か問題があるであだろうか?
 この国を愛し、誇りを持つ為に、大人は子供達の未来の為にしなければならないことはたくさんあるはずだ。多くの場合には、子供達は偽善家のセールストークに使われがちだが、それは正しくない。子供が元気で生き生きとした社会に不幸な社会はないことを思えば。
 行政を司るこの国の心臓部の霞が関の人々は、目先の事象を穏便に済ませ、既得権益権者に支えられてる。そこ姿はイノべートな発想は封印してミスなく確実にエスカレーターをから落ちない様にだけ考えている愚民に見えてならない。彼等とて本当はそんな仕事を本意と思っているのだろうか?
 少子高齢化によって、社会保障費の高騰は避けれれず、国民は痛みを伴うしかないかのように洗脳されているが、果たしてそうであろうか?
 ちなみに殆どの一人親家庭の現状は悲惨で理不尽にもほどがある。しかし、そこにこの国の社会保障の不都合な真実の本質が見え隠れしている気がしてならない。
 ならば、教えてあげましょう、今、この立場になって見えてきた、この国が本当によみがえる為の社会保障のあり方と、この国が本格的に本質的によみがえる手段は経済政策よりも社会保障のあり方にあることを。それは霞が関の方々にとっては都合の悪い真実かもしれないが。

メッセージ
RSS